スピッツ ロビンソンの歌詞の意味は?自転車で走るのは僕?君?

ロビンソン歌詞の意味

スピッツの名曲「ロビンソン」誰もが一度は耳にしたことのある不朽の名曲です。

イントロ聞いて3秒でわかる曲ですよね!?

ロビンソンもそうですが、スピッツの曲って、世間で認知されているほど爽やかラブソングではないですよ。

そのあたりスピッツのファン歴の長い方なら、きっと皆さん知っていると思いますが、さてさて、人によって解釈が全く異なるのがスピッツのの魅力。

聞く人のバックグラウンドで全然違う曲の解釈が可能なんですけど、ロビンソンの歌詞意味で、僕が一番面白いなと感じているのが

「自転車に乗って走っているのはどっち?」

というもの。

けっこう謎だとおもうんですけどね、お付き合いくださいな。

 

スピッツの名曲ロビンソン 名前の由来はタイのデパート

これは超有名な話ですよね。

マサムネさんがタイを旅行中にロビンソンのフレーズを思いついた。

その時にロビンソンというタイのデパートか、百貨店があったので、仮タイトルで「ロビンソン」とつけたところ、そのまま仮タイトルが本タイトルで曲のリリースまで行ってしまった…という話です。

「スピカ」の仮タイトルはたしか「粉のように」だったとか。

歌詞にそのままその使われていますね。

ロビンソンはレコーディングしていた時、あまりにもメロディーがシンプルかつ淡泊すぎるという理由で、シングルカットするかどうか迷った…という話もありますよね。

ちなみにマサムネさんご自身が曲を作ってみて「俺は天才かな?」と自画自賛で悦に入ったという曲は「」だそうです。

ロビンソン歌詞の意味

走らされているのは君?僕?ロビンソンの歌詞の意味

ロビンソンの歌詞で

走る君を追いかけるくだりがありますよね?

で、一人称の「僕」が「走る君」を追いかけているのはわかりますが、果たして自転車に乗っているのはどっち?というシンプルな疑問が…

もう一回頭の中で、ロビンソンの歌詞を転がしてみてください、どちらが自転車に乗っていますか?

つまり、「僕」が自転車をこいで「(自転車には乗らずに)走っている君」を追いかけたらすぐに追いついちゃうのでは? って思うんですけど…

これでもスピッツファン歴25年のベテランブリーダーですが、今の今でもそう思います!

物語のつじつまが合うのは、むしろ自転車に乗って走っているのは「君」の方であって、「僕」はイケてない男子なので(たぶんね)イケてる女子…かはわかりませんが、「君」に相手にされていない状況だと思うんですよね…

なにしろ「新しい季節」がなぜかせつなく感じちゃう今日この頃なわけです、この「僕」は。

それっておそらく恋をしたけど、両想い…ではないんでしょうね?

だから!

走らされてるのでは?河原の道を!

自転車で先行して走ってる君に…全然追いつけないダメダメな「僕」の方がストーリーとしてはありそうかな…と。

どうでしょうね?

置いてけぼりくってる感じ、するんですけどね…

あるいは二人とも自転車に乗っているか…です。

多分この曲を聴いた99%の方が自転車で走っているのは一人称の「僕」だと想像すると思いますが、ちょっと想像してみると、それだとすぐ追いついちゃうぜ!

ということになるわけです。

まあ追いついてもいいんですけど、多分「君」は振り向いてもくれないし、ましてや止まってもくれないかもしれませんね!

 

宇宙の風に乗るのはなに?

で、ロビンソンは爽やかなラブソングではないわけで、けっこうエゴに満ち溢れた幼いガキの発想…というか…

ようはこちらの世界で一緒になれないなら、一緒にあちら側の世界へ来てよ!

というわけですよ、多分。

作戦決行は…河原?

「君」の瞳が驚いている描写なので、きっと思いもしなかった行動にでたんでしょうね? K君が。

仮に「僕」を「こころ」になぞらえて「K」としましょうよ。

「君」の首に何か巻き付いているのかもしれませんね?

「K」の手のようなものが…

「青い車」の歌詞とちょっとダブるんですけど、僕の解釈だと「青い車」と「ロビンソン」の世界観は近いかな…と。

どちらも「輪廻の果て」を目指しているっぽいので。

「K」の願望がかなうのは、あちら側の世界なわけで…

あちら側の世界っていうのは、つまり「二人だけの国」なのかな~。

それをさ、どうすの?っつー話です。

だから、「二人だけの国」を作り上げた「K」はどうするの?

そりゃ飛ばすでしょ、「うちゅーの風」に乗せて、こちら側の世界に置いておいてもろくなことないし…

なにしろ憧れの「君」と一緒になれないんだから。

そう、僕の解釈だとうちゅーの風に乗るのは「僕」と「君」じゃなくて、(もし乗れたら…ではなくて)そんなファンタジー感あふれるものじゃなくて

 

魂……かな?

 

気をつけたいのは、原作者のマサムネさんが今の今まで一切曲の解釈についてはコメントをしていないことです。

リスナーに解釈は任せている…という理由から、メディアに曲の意味や歌詞の意味、解釈を語った事はありません。

ので、ここでも僕の解釈なわけです。

リリースから20年以上たっているのに、未だに曲の解釈について云々討論できるなんて、ほんと素晴らしいよね!

マサムネさんの歌詞は国語のリテラシーが不足しているとしっかりと理解できなかったりすので、わかるためには国語を勉強しなければいけないという…

「聴いてわかれ!」とはまさにこの事で…

ちなみに「夜をかける」という曲を理解するためには、間違いなく読書の経験値が必要です。

西の方角がうんたらかんたら…ときたら、それは読書の世界共通の設定事項として「西には天国がある」ということを抑えて読まねばなりません。

だから、西遊記というタイトルです。

孫悟空と三蔵法師は天国への道すがらに出会うわけで、西へ西への旅だから西遊記ですよね?

アメリカのバンド「イーグルス」の超名曲「ホテルカリフォルニア」もカリフォルニアは「西海岸」の州だというところが、ミソですよね?

西に稲妻が走ったからにはこの物語の「君」と「僕」の未来には暗雲が立ち込めているよ?

つまりハッピーエンドにはならないっぽいよ?

と示唆しているっぽいですね。

……っぽい…っていう表現、マサムネさんけっこう好きっぽいので、僕も使っていますよ。

最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。

スピッツ抜きでは人生過ごせない僕のたわいのない記事でした。

1 個のコメント

  • 西に「あちら側の世界」があるのは、仏教(の中の東伝仏教)の西方浄土のみなので、イーグルスどうこうは関係ないのでは?
    もしホテル・カリフォルニアで西=未来だとすると、「船乗りは~」なら理由となると思う。

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