クイズヘキサゴンでおバカキャラの超売れっ子タレントとして活動していた上地雄介さんですが、元々は高校球児だったことはけっこう有名ですよね…
高校野球の名門横浜高校に進学し、キャッチャーとしてレギュラーを獲得し、一学年したの松坂大輔の正捕手として松坂大輔とバッテリーを組んでいました。
上地雄介さんは甲子園に出場したことはないのですが(松坂大輔の伝説の甲子園の投球は上地雄介さんが卒業した翌年)それでも横浜高校で野球を続ける事自体がすでにエリートですし、小学生、中学生の時は各年代の日本代表にも選ばれている上地雄介さん。
横浜高校を選んだ理由ってなんだったのでしょうか?
上地雄介さんは野球うまかったの?
上地雄介さんは6歳から野球を始め、小学生の時の1991年と中学生の時の1995年に日本選抜のメンバーにも選ばれるほどのプレイヤーでした。
中学生の時はいくつかの高校野球の監督が勧誘にくるなど、高校野球の名門からも熱視線を向けられていた選手でした。
ヘキサゴンのおバカキャラからは想像もつきませんね…
高校進学の時には40校近い高校野球の強豪校から推薦の申し出があった野だとか…
確かに日本選抜のメンバーですし、同年代の球児の中では超エリートだったんでしょうね。
丹波慎也
元々上地雄介さんは茨城県の高校野球の名門常総学院への進学を希望していたんだそうです。
ところが、高校野球の試合のテレビ中継を見ていたところ、横浜高校の丹波慎也選手の投球にめを奪われた上地雄介さん。
当時まだ高校一年生だった丹波慎也選手の投球は圧巻の内容だったようで、丹波慎也選手の球を捕手として受けてみたい!
という理由で進学希望を横浜高校に変更したんですね~。
当時の横浜高校の野球特待生枠は3名だったようで、上地雄介さんはその超エリート枠で横浜高校へ進学したんですから、やっぱり当時の上地雄介さんの野球の実力は相当レベル高かったのは間違いないですよね。
横浜高校の1年時に念願の丹波慎也選手の投球を受ける夢は叶ったみたいですね。
ちなみに丹波慎也選手は突然高校2年生の時にこの世を去っています。
心臓の病気だったと記録が残っており、眠りながら永眠したそうです。
あまりにも活躍期間が短かったため、あまり丹波慎也選手の記録は残っていませんが、上地雄介さんがご自身のブログに綴ったものが世に出回っていますね。
上地雄介さんがプロに転向しなかった理由も
名門横浜高校でキャッチャーのレギュラーとして甲子園を目指していた上地雄介さん。
松坂大輔投手ともバッテリーを組むなど、その実力と経験地は同年代でも間違いなくトップクラスだっただろうと推測されますが、なぜプロ志望でもなく、大学進学で野球を続けるでもなく、タレントとしての道を選んだのでしょうか?
実は上地雄介さんは高校2年時に大きな怪我を経験しているんですね。
まったくプレーができない期間がありました。
リハビリ期間は役10ヶ月をようしたとか。
そのリハビリの期間中に色々将来の事を考える時間ができたようで、それまで小学生から中学、高校と、野球の事だけしか考えずに成長してきたことに対して、一度思考をリセットしたかった…というようなことを語っています。
将来の進路を考えるためには良い機会だったのかもしれません。
もし怪我がなければ間違いなく、プロなり大学野球なりに進んでいたはずの上地雄介さん。
人生はわからないものですね…
タレントとしても大活躍されていますから、タレントの道を選んだことは間違いではありませんでしたね。
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