落語家の桂歌丸さんが7月2日、慢性閉塞性肺疾患でお亡くなりになりました。享年81歳でした。
日テレの長寿番組「笑点」に50年以上レギュラーで出演を続けた歌丸さん。
晩年はすっかり痩せてしまい、体重も35㌔まで落ちてしまいました。
それでも呼吸器を携え最後の最後まで高座に上がった落語家人生でした。
そんな歌丸さんを、若かりし頃の写真で振り返ってみました。
僕は5代目円楽さんが、「歌丸さんに一枚」というセリフが耳に残っていますね。
奥様の「富士子さん」のネタも笑点の鉄板ネタでした。
桂歌丸さんの若い頃
歌丸さんというと、晩年の頭髪の薄くなった、痩せ痩せのご老人というイメージがとても印象的ですが、若い頃はやっぱり今と随分違いますね。
髪もあるし、肉もついてます、変な言い方ですが……
生気がみなぎっていて、いい男です。これぞ「噺家」っていういでたちですね。
歌丸さんは神奈川県横浜市出身で、終生横浜市に居を構え、生まれも育ちも横浜で、仕事以外では横浜から出たことがないという、生粋の浜っこなんですよね。
笑点勇退後も病気と戦い続け、精力的に落語に取り組み続けた
歌丸さんは2016年に「体力の限界」として50年にわたりレギュラーを務めた長寿番組「笑点」を降板しました。
ただし、「笑点だけでは終われない」として、笑点を降板後も精力的に落語の活動に励んでいました。
最後は呼吸器を携えたまま高座に上がり続けたというのですから、落語=人生だったのかもしれません。
5代目円楽さんが歌丸さんと楽太郎さん(現、三遊亭円楽)をいじっていたのが懐かしい
歌丸師匠が笑点から降板した時、戻りの着物の歌丸さんがもう見れないかと思うと寂しかったですね。
緑の着物で50年にわたり笑点にレギュラーで出演していたわけですから、緑の着物=歌丸師匠 というイメージが完全に出来上がってしまっています。
笑っていいとも!があれだけ騒がれて終了になって、それでも連続放送35年でした。
まあ、笑点は週一、笑っていいとも!は週五日、と放送の頻度は違えど、昭和から続く長寿番組には変わりはありません。
僕が生まれる前から笑点のレギュラーでらして、僕がアラフォーになるまでずっと笑点に出演され続けてきました。
ということは、僕の今までの人生で歌丸師匠のいない日曜日など今まで一度もなかった…ということですね。
やっぱり50年ってとんでもない数字です。落語家としては65年ですから、人間国宝でもいいくらいでしたね。
5代目円楽さんが降板され、歌丸さん司会を継がれましたが、僕の中で一番笑点が面白かったのは5代目円楽さんが「歌さん、歌さん」
と歌丸さんや、小遊三さんにビシビシ突っ込みを入れて、ゲハゲハ笑っていた頃ですね。小学生の頃ですが。
お悔み申し上げます、としか言いようがありません。
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