塚田兼司のラーメン人生 その最初の一杯とは? 全てはそこから始まった

塚田兼司

日本ラーメン協会理事を務める塚田兼司さんは人生をラーメンに捧げてきた人です。

高校に進学し、ラーメン屋でアルバイトを始めて以来ラーメン道をひた走ってきた塚田兼司さん。

現在は日本ラーメン協会の理事を務めながらも経営者として有限会社BOND OF HEARTSを経営し、直営店も8店舗(2016年時)展開する青年実業家です。

そんな塚田さんにとって、最初のラーメンの思い出はとはどんなものなのでしょうか?

また、塚田さんが最初にラーメン道を志すきっかけとはなんだったのでしょうか?

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塚田兼司さんの最初のラーメンはお母さんと

塚田さんの生い立ちをひも解くと、彼は長野県長野市の出身で、幼少期(5歳)に父親を亡くされています。

お世辞にも裕福とは言えない家庭環境だったようですが、ご本人はあまり気にせずに育ったと、メディアの取材に対して振り返っています。

そんな塚田兼司さんにとって、記憶の中の最初のラーメンは塚田兼司さんのお母さんが年に一度外食に連れて行ってくれたラーメン屋さんのラーメンなんだとか。

「麺ズテーブル亀屋」というお店のラーメンで、お店の名前まで今でもはっきりと覚えていると答えています。

もしこの時のお店がラーメン屋ではなく、そば屋だったら…もしかしたら人生がちょっとだけ変わっていたのかもしれませんね。

塚田兼司さんの故郷の長野県は信州そばで有名な土地ですから、そば、うどんでもおかしくはなかったでしょう。

塚田兼司

つけ麺「大王」でアルバイト 運命の人物との出会い

高校入学と同時にアルバイトを始めた塚田さん。

そのアルバイト先がつけ麺大王という名前のラーメン屋さん。このラーメン屋さんで後々彼のラーメン道に大きな影響を与える人物と出会います。

塚田さんが「オヤジ」と呼ぶその店の店主こそ塚田さんにラーメン屋を経営していくけっかけを与えた人物でした。

塚田さんはこのつけ麺大王で働き続け、20歳の時に独立の話を店主から持ち掛けられます。

塚田さんは断ったそうですが、店の店舗も、名前も、常連客もそっくりそのまま引き継ぐ形で引き継ぎました。

ラーメン職人をやるのとラーメン屋を経営するのとでは全く意味が違います。

早くから経営の道に進めたのは塚田さんにとっては大きな人生の岐路だったといえるでしょう。

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塚田けんぢのみんなのラーメンをプロデュース ラーメン屋の経営だけではない塚田兼司氏の活動

塚田氏は独立後、いくつもの店舗を展開し、成功、発展させてきました。

現在は日本ラーメン協会の理事を務めるまでになりましたが、今彼が目指しているのは単に自分の経営する会社の規模を大きくするとか、売り上げを伸ばす…といったことだけでなくラーメンを通して異業種とのコラボレーションを図ったり、社会に対して還元しようと試みています。

長野県で放送されている「塚田けんぢのみんなのラーメン」という番組のプロデュースは9年以上続けています。

また、老人ホームにラーメンの差し入れをするなど、ラーメン屋の売り上げUPに直接影響を与えないようなミクロな活動にも力をいれ、

ラーメンの総合的な発展、社会への浸透を目指しています。

最初はラーメン屋のアルバイトから始まった塚田しのラーメン道。

今後の活躍が楽しみです。

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